日本画の中でも墨絵・水墨(もちろん中国にもあり)(※ )と洋画の違いに驚くことがありますがそれがなんなのか、なかなか解らないものですよね。(自分だけ? ^^;) 単純に気づくことは、色ですよね。水墨画に代表される絵は基本が黒の濃淡ということになります。
色を使った水墨も、もちろんあることはありますけど、ほとんどがモノトーンです。
それに対して、洋画と言うのは色をふんだんに使ったものですよね。写実的であったり、デフォルムの世界であったりです。
ところが最近ふとしたことで気づいたんですが、もっと違うところにその違和感があったのです。それは、洋画には空(そらではなくクウ)がなく、光をもとにかかれたものだったんですね。
それに対して、水墨に代表される絵と言うのは、広い空間の一部だけを大胆に書いたものだったりするわけです。モノトーンであるために、光と色を使ってイメージとして描ききるものではなく、一部だけを見せてクウ(空)の部分を想像させるわけです。
想像ですから、それは目には見えていなくても実際の風景そのものであり、色も光もかえって鮮やかに想うことができるのかもしれません。
実は、和というのはその空からの想像の表現そのものなのかもしれませんね。
和食器(※ )の記事を先に書いたんですが、その和食器にもその空が見え隠れしていますね。
調理を九谷に盛ったときのそのものを想像できるような空があるのかもしれません。
九谷焼き(※ )など、ぱっと頭に浮かぶのはきらびやかな皿ですよね。色も他の薫物とは違って、赤・緑、黒、白などを大胆に使って、皿いっぱいに絵が書かれています。
ところが、九谷には大胆な焼きもあるんですね。びっくりします。
信楽焼きのような、ほんの一部にちょっとだけ絵柄のある足つきの皿や、質素な湯のみのような焼きものまであるんですねえ。渋くてびっくりします。
和の極意は、大胆な空(クウ)の想像にあるのかもしれませんね。
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