普通が一番難しい (GsBlogからの記事の移動です・・+_+;)
大切である人からみて(自分から見てでもいいんですが)、自分は特別な存在というか人でしょうか? いささか意味深な書き出しとは思いますが、最近、特別の意味が逆さまな若い人が多いような気がして。
特別であると、それが失なう可能性があればそうならないように、常に気を使います。最初はそれ自体が新鮮で楽しいとたいていの人は思いますが、でもいつまでも気を使っていると疲れ果ててしまうでしょう。それこそ現代のストレスかも・・笑
親子っていうのは(家族でもいいですけど)、どちらの方向からも例えば思いっきり怒ったりできるでしょう。でも、そうあっても誰も失うなんて思いもしません。まあ、例外もあるかもしれませんけど、ほとんどないと考えてもいいかもしれません。
それって親子の関係が普通だからですよね。いることが当たり前で、特に気を使う存在ではないからですよね。え、怒ったりするのに気を使う? それはいつの間にか特別になったのでは? その原因がどこなにあるでしょう。
会社の中の同僚でも、クラスメイトでも、友達でも、恋人同士でも、夫婦でも、どれだけ気を使っていますか?気を使いあう特別な関係なのでしょうか。特別に気をつかうという表現でもいいですが。それは疲れませんか。^^;
いてあたりまえの、気を使わない(無視してもいいわけじゃないですよ)そういう普通の存在でいるのが一番安心できますよね。一緒にいて安心できる、癒されるでもいい、それは普通だからでしょう。あたりまえの。でも、あたりまえのものだから、普段は気にしていないから、無くすと、それがとても存在の大きいことを知るかもしれませんね。
もっと、普通のことに目を向けてみるといろいろわかっていいですよ。普通にある自然の緑だって、いつも気にならないのに無くなったららきっと恐ろしいと思いますよね。笑
だから、普通が一番。私は特別じゃなくていいです。v^^;
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