今週、気になる記事が2つほどあった。
1つは、イルカの捕食を扱った問題の映画の上映までの一部始終。
もうひとつは、お年寄りが、優先席に座っていた、男の子(高校生)を
傘で殴って突いて、重症を負わせたという記事。これは今日かな。
どちらも同じくらい、気になる事件だ。
まず上映に関しては、これは阻止するなどの行動はどうかと思う。
わが国では、発言、表現の自由を保障しているのだから、その内容が反社会的な問題でなければ自由を尊重すべきだ。
確かに、映画の撮影時に、地元の方々といろいろあってどこぞの国の動物愛護団体が魚網を破る、小石投石暴力を起こす、など問題もあったとおもうが映画の上映とは別問題だ。
たとえ映画の内容がイルカの死を扱っていたとしても、それが倫理的に問題でないから、上映が許可されているのだし。こちらの問題で、最も気になったのは、これを見た若い子がただ「かわいそう」という感想だったことだ。日本人だからかえって問題が大きいような気がする。
イルカだから「かわいそう」なのか、動物の死が引き起こされるのがかわいそうなのかが問題だからだ。そして、人が生き抜くためのエゴや矛盾を理解しているかが大事なのかもと思うしだいだ。
かつて小さい頃に、社会見学で、と殺場の見学があった。(本当です)
子供ながらに豚か牛だったかは忘れたが、「かわいそう」と思ったもの。だが、結局
そのショックからは立ち直って小さな心には、生きるには必要なんだと理解した。
豚や牛は家畜化されシステムの流れの中にその一生が置かれている、そこに死は普通の人には解らないようになっているだけで、実は毎日のように起こっている。もちろん、それに携わる人もいるのが事実だ。
私もそうだが、「かわいそう」の彼女も、焼肉屋に行って肉片をみて豚や牛を想像はしない。
だからかわいそうもないだけだ。自分たちの生のために必要な死なのでそれらに感謝はあってもかわいそうは合わない。
鯨やイルカ(鯨科)は家畜化できない。できるなら江戸の時代からやってるはずだ。
家畜化できないが漁はできる。だから食うための漁だったのだからこれは日本の文化のなにものでもない。北欧にも捕鯨の文化国があるが、世界から認められている。日本だけが孤立する理由は無いと思う。
実は、イルカの問題と前後して、口蹄疫による家畜の殺処分が世界中で起きていた。
これは、彼らにとっては突然の死であって、人間のエゴ以外のなにものでもない。
口蹄疫はほうっておけば自然治癒する程度の病気だからだ。しかも人属には感染しない。
だが、口蹄疫の発生した地域の豚、牛はすべて殺処分になるのだからこれを勝手と彼らが言葉をもっていたら言うだろう。「かわいそう」だろうし「残酷」だ、これは。
人が生きるために矛盾とエゴをもっているというのを子供にも教えるべきだ。
捕鯨半大国の中には、かつて鯨を石鹸の製造のため、動物園の動物の飼料のために捕鯨していた
国もある。
日本人は食べるためだ。あなた方とは違うんです。
文字数が多くなったのでおとしよりの問題は次回に。
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